ここでは、管理者がつれづれに書いた、「銀雨」の登録PCに関するプライベートなSSを書き連ねています。
「トミーウォーカー」や「シルバーレイン」を全く御存じない方には、不明な内容ばかりと思われますので、ご覧になる際は、予めその旨御了承ください。
彼が纏う空気は、あまりにも剣呑で。
故に、同じ匂いを嗅ぎ分ける 或いは異質を感じ取り、過剰反応する者にとっては、そこに居るだけで因縁をつける契機のようなもの。
彼もまた、己に敵意を向けて来る者は、須らく、力で叩き伏せ、制圧して然るべき存在と考えてやまなかった。
そう、疑うことも知らなかった頃のこと。
路地裏に響く怒号と、殴打する鈍い音、がらがらと何かが薙ぎ倒される騒音
それらが断続的に路地裏を騒がせ、やがて静寂が訪れる。
地に這うのは、一見して無頼の輩と思われる男達。
累々と倒れ伏す者らを睥睨するように、しかし幽鬼の朧さを纏わせて立つは、頬に刺青を持つ精悍な体躯の青年。
うめき声を漏らす者、絶え絶えに呪詛を吐く者を、無感動な黄金の瞳が見下ろし。
やがて興味をなくした青年は、くるりと踵を返す。
「てめぇ…調子に乗ってんじゃねぇぞ……」
背にかけられた挑発に、青年はひたりと歩みを止める。
よろめきながら立ち上がり、更に言葉を紡ごうとした無頼漢は、しかし二の句を次ぐ事は許されなかった。
振り向きざま大きく踏み込み、その勢いのまま繰り出された鋭い青年の蹴り。
避ける暇なく、その身体は木の葉の如く宙を飛び、壁に容赦なく叩きつけられていた故に。
す、と地に足をつけた青年の眼光は、背筋の凍るような殺気を帯びて、次の反抗を許さなかった。
――その心は、今も溟い森を彷徨っている。
リビングの扉を開けて入ってきた青年の姿に、キッチンに立って食事の下ごしらえをしていた彼女は、おかえりなさい、と言葉を紡ごうとして、驚きに目を瞬いた。
「スルガさん…!どうしたんですか、血が」
「俺のものではない」
頬や服を汚す、僅かな紅の飛沫を見咎め、かけられた言葉に、素っ気無く応えながらスルガは脱いだ上着を自室に放り投げた。
端整な顔(かんばせ)を曇らせて、絢歌は浴室に向かう同居人を目で追う。
叩きつける飛沫は、鬱屈とした心の泥までは洗い流してくれそうにもなかった。
立ち尽くし、微動だにしないスルガの頭上から降り注ぐシャワーの水が、ただ身体をなぞり、排水溝へと消えていく。
森で過ごしていた頃、山で「彼女」の亡骸と過ごした頃、ただ本能のままに生きていれば良かった。
ただ、襲い来るものを打ちのめす暴風であれば良かった。
しかし、今は違うのだ。何もかも。
何も持たぬ故の強さは、いつしか何も持たぬ事への不安になった。
――俺は、弱くなったのだろうか
力なく伏せられた瞳は、迷いの出口を見つけられないまま。
「……ここに、タオルと着替え、置いておきますね」
ふと、磨りガラス越しの柔らかな声が耳朶に響く。
優しい、絢歌。
今のスルガの、唯一つの寄る辺であるひと。
答えを、誰かに求めるのは愚かであると知っている。それでも、彼女ならば、と。
「絢歌」
ガラス越しに遠ざかる姿に、浴室の引き戸に手をかけ開け放ち、追いすがる。
身体を、髪を伝う雫が、床を濡らすのも構わず。
「絢歌、俺は」
どうすれば、よかったのだろう?
何ができるというのだろう?
この、変わりすぎた世界で。
沢山の問いは、うまく言葉にならず、中途で途切れた。
振り向いた絢歌と、視線が一瞬絡んで。
長い髪を揺らし、背を向けた絢歌。
拒絶されたのかと、スルガは瞳を翳らせた。
愚かな問いと、わかってはいる。答えようなどないではないか。
甘ったれた思考に、嫌気がさす。
「……あの、スルガさん、…その」
珍しく歯切れ悪く、言い淀む絢歌は今だこちらを見ようとはしないままで。
「…?」
「えと、……出てくる時は、服、着てください、ね」
「―――!」
「すまん」
「いえ、私は…大丈夫ですから」
絢歌は、目の前で項垂れる青年にほんのりと頬を染めながらも、いつもの穏やかな笑顔で微笑んだ。
だが、いつもの同居人らしからぬ様子に、ことりと首を傾げる。
スルガの晴れぬ瞳の陰から感じるのは、先刻の失態だけではない何か、思い悩むもの。
彼が、未だこの世界に慣れ馴染んでいないであろうことは、絢歌も察していた。
そしてそれは、目に見えぬ軋轢も含め、過大なストレスとなって不器用な来訪者を苛む棘になり得るのだろうと。
重い空気を祓う春風のように、もう一度絢歌は笑む。
「ご飯にしましょうか、スルガさん。」
今日はハンバーグにしてみたんですよ、と軽やかに台所に足を向ける絢歌。
付け合わせなどは、既に盛り付ければ良いように準備は終えている。後は肉を焼くだけ。
程良くスパイスの効いたハンバーグの焼ける香ばしい香りが部屋に漂えば、思いの外、己が空腹であった事に気付く。
絢歌もまた、この世界に目覚めた時間は然程変わらぬだろうに、現代の料理も見事に作りこなしてみせる。
以前、その事を指摘すれば、彼女は微笑みと共に答えてくれた。
『だって、美味しそうに食べてくれる人がいるのですもの』
目の前に手際良く並べられていく皿には、ふんわりと湯気を上げるデミグラスソースがけのハンバーグ。
形よく刻まれたサラダ、パセリが爽やかに香るコンソメスープに、ライスが添えられ。
律儀にいただきますをしたスルガは、暫し悩みを忘れたように食に没頭した。
食事の匂いを嗅ぎ取りやってきた、勇んでしっぽをぶんぶんと振る白い仔犬にも、玉葱等を混ぜていない分のハンバーグをよそってやる絢歌。
同じように席につけば、もうお代わりをしそうな気配の同居人にくすりと笑みを零す。
食後のお茶を啜りながら、何気なく点けたテレビ番組。
黙して座するスルガは、目に映るばかりで、恐らく内容はまるで頭に入っていないであろう。
絢歌は、ちゃっかりと膝に上がりこんで機嫌良さそうにしっぽを揺らす、白い仔犬を撫でてやっていたが。
「スルガさん」
静かな呼びかけに、金色の瞳が廻らされる。
「一人で、頑張り過ぎないでくださいね。
すぐに答えの出ないことだって、話せば楽になる事も、あります。
もっと、誰かを頼っていいんです」
ここはもう、あの昏い森の中ではないから。
一人では、ないから。
「大丈夫ですよ」
そんな風に気を張り詰め、誰かを傷つけ、傷つかなくてもいいのだと。
目を見開いた、スルガの表情は、迷い疲れた旅人が光射す出口を見つけたかのようにも
親の姿を漸く見つける事ができた、幼子のそれのようでもあり
瞬間、泣きそうだと思えてしまったのは、気の所為だったかもしれないけれど。
いつもの、無表情にも見える顔が少し伏せられて、再び上げられた時には、久しぶりの幽かな微笑。
紡がれた感謝の言葉へ、わう!と、まるで事情を解したかのように鳴いてみせる仔犬に、一瞬虚を突かれて、零れる表情は二様。
心のカケラは、ひとつ、ひとつ
暗闇の中で光を放つ。
「ひと」になる事は、弱さではないと。
歩みはまだ拙くとも
それは大切な、一歩
力だけが全てだった世界から踏み出し得られるものは、決して優しさだけではないとしても。
そうして、無二の心を、土蜘蛛の青年が自覚するのは、まだもう少し先の話。